東京農工大学同窓会東京都支部

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同窓生からのご寄稿


  ★ 長野県白馬村のプチホテルでの勤務経験 ★

◎  池谷 紀夫(農院 昭和52年卒)

  •  令和4331日で同窓会事務局長を退職した池谷です。大学を修了してから、東京農工大学の事務職員として就職し17年が経ったころ、自分で飲食店を経営したいという気持ちが湧いてきました。しかし、客商売の経験が無かったので、知人の紹介で白馬村のプチホテルで仕事をすることにしました。
  •  白馬村は白馬岳を一望でき、多くの自然に恵まれています。冬はスキーリゾート、夏は避暑地として観光客が多く訪れるとても素敵な場所です。白馬村には、南極観測隊員だった期間(500日)を挟んで都合3年半を過ごしました。
  •  素晴らしい自然の中で暮らしでは、冬の間2m近い積雪の中、毎日のように除雪に明け暮れたりしますが、春になると雪も解け草木が芽吹いてきます。ビニール袋の中に芽吹いたワサビの茎を入れてお湯を注ぎ良く振ると、お浸しができます。自然の恵みを頂いているという幸福感がたまりませんでした。
  •  夏には様々な花が咲き乱れ、秋には紅葉を絶妙なタイミングで見ることができます。白馬村にはいろいろな種類の温泉も湧き出ています。
  •  また、それまで公務員として比較的常識的な方々の中で仕事をしていましたが、リゾートの宿泊施設で働いている方々は、人生で会ったことのないほどの多様性をもっておられました。
  •  マイナス面で言うと、職場に対する愛着心があまりないという事です。近隣のホテルで朝起きてみたら調理人が部下を連れて全員いなくなってしまうようなことが時々ありました。ホテル側は次の調理人が決まるまで、仕出しで対応することになります。よくあることらしく、仕出し屋も遅滞なく対応してくれます。我がホテルでも、パートの方が複数人消えてしまうようなことがありましたが慌てず冷静に対応し何とかなりました。
  •  また、混乱に乗じてすり寄ってくる人達もいました。やさしそうに見えていても、乗っ取りをたくらんでいる様な人達です。私にはびっくりするような経験でした。こんなことから「人は信用しない。心をすべて許してはいけない。」という事を心がけています。こう決めると、結構人生は楽しく過ごせます。
  •  プラス面では、やはり多様な方々と接する機会があったということです。人生の醍醐味は、多くの方々と対峙するという事と思います。70歳になった今でも私の周りには素敵な方々がたくさんおられ、幸せな人生を送っていると実感しています。白馬村での経験は楽しい記憶として今でも目の前に浮かんできます。


白馬の景色




  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.4) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  沖縄を代表する古典楽器の三線(さんしん)を習い始めました。
  •  三線は1415世紀に中国から伝わり、当時は今よりもっと大きな楽器だったそうですが、改良を重ねて今の三線の形になりました(県立博物館・美術館の展示説明から)。
  •  とりあえず「師匠」を探そうと思い、地元紙の「琉球新報」がやっている「カルチャーセンター」に問い合わせることにしました。そこで紹介されたのが安冨祖(やふそ)流絃聲会の照喜名朝國(てるきな・ともくに)師範の教室でした。朝國師範は人間国宝だった故・照喜名朝一(19322022)の息子です。
  •  稽古は週1回。那覇市の教室に通っています。朝國先生から「まだ楽器は買わないように」ということで、教室にある三線で練習しています。練習でつらいのは正座です。一応、尻の下に「正座椅子」(写真)を入れていますが、それでも足はしびれます。
  •  安冨祖流と書きましたが、琉球古典音楽の二大流派は安冨祖流と野村流。安冨祖流は師匠の口伝(くでん)によるレッスンと抑揚のある節回しに特徴があるそうです。一方、野村流は三線譜(工工四=「くんくんしー」と読む)に声楽譜が付いているため自宅学習も可能だととのこと。もう一つ、湛水(たんすい)流は、17世紀の三線演奏家、湛水親方を祖とする流派ですが、いまはあまり継承されていないということを稽古の際に聞きました。ちなみに「親方」は「ウェーカタ」と発音し、琉球王国(14291879)で士族が賜る最高の称号です。
  •  三線を使うのは琉球古典音楽のほか民謡と「BEGIN」「THE BOOM」に代表されるP-POPもあります。民謡は本土の民謡のほかに宮古民謡、八重山民謡、奄美民謡(奄美大島も琉球王国だった)があります。
  •  楽器としての三線の特徴は、洞に蛇皮を貼っていること、水牛の角である爪で弦を弾くことなどが挙げられます。蛇は主にビルマニシキヘビの皮が使われることが多く、ベトナムなど東南アジアからの輸入です。爪は合成樹脂製もあります。弦は太い(音程の低い)ほうから西洋音階でいうド、ファ、1オクターブ上のドです。弦の呼び名は太いほうから男弦、中弦、女弦で、それぞれ「ウージル」「ナカジル」「ミージル」と呼びます。チューニングは「ちんだみ」、調弦するは「ちんだみする」です。
  •  稽古は190分。前述の通り、安冨祖流は口伝での授業ですので、テキストや楽譜はなく、ひたすら目の前にお座りの朝國師匠の指の位置を確認しながら、弾いています。一緒に習っている人たちは、すでに数か月の経験があり「はやくあれくらい弾けたらなぁ」と思いながら練習しています。
  •  習い始めてから知ったのですが、沖縄県は地方紙が「琉球新報」と「沖縄タイムス」の二つがあり、二紙の部数が拮抗している珍しい県です。ほかに二紙が競っているのは「福島民報」「福島民友」が並立する福島県だけです。
  •  安冨祖流は琉球新報が、野村流は沖縄タイムスが、段位認定試験や演奏会の後援などを担っているそうで、競い合っているもの同士がタッグを組んでいるのが面白いですね。
  • 前回(No.3)の答え合わせです。
  • 那覇市安次嶺 あしみね
  • 那覇市西武門 にしんじょう
  • 那覇市天久 あめく
  • 那覇市真地 まあじ
  • 宜野湾市我如古(写真1)がねこ
  • 浦添市城間(写真2)ぐすくま
  • 浦添市勢理客(写真3)じっちゃく
  • 名護市世冨慶 よふけ
  • 名護市饒平名 よへな
  • 糸満市阿波根 あはごん
  • 糸満市宇江城 うえぐすく
  • 南風原町喜屋武 はえばる(ちょう)きゃん
  • 沖縄市比屋根 ひやごん
  • 豊見城市保栄茂(写真4)とみぐすく(し)びん
  • うるま市平安名 へんな
  • 南城市仲村渠 なかんだかり
  • 座間味村伊釈加釈 いじゃかじゃ
  • 八重瀬町東風平 こちんだ
  •  城は「ぐすく」、南風は「はえ」、東風は「こち」といった読み方のルールを覚えるとある程度は分かります。が、豊見城市の「保栄茂」と書いて「びん」、浦添市の「勢理客」が「じっちゃく」などは、知らないと読めません。ちなみに前回も書きましたが、皆さんのWordで「びん」と打って何回か変換キーを押してください。「保栄茂」出てきますから。


 

県立博物館・美術館に展示されている三線


 

三線の爪

 
 

三線を習う筆者


 

正座椅子

 


  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.3) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  大阪市城東区放出西、山形県真室川町及位など全国的に見ても難読地名は各地にあります。沖縄に暮らして3か月になり、仕事であちこちを訪れると、読めない地名に出会います。
  •  地名の由来はさまざまで、地形に基づくものは分かりやすいですが、由来が不明なものも多いと聞きます。あるいは新興住宅地のように開発されたときに行政が名付けたものもあるでしょう。筆者が東京で済んでいた板橋区高島平は、もともと徳丸原と呼ばれていた土地に団地が出来た際に、住居表示をすることになったようです。かつて徳丸原で砲術訓練をしていた江戸時代後期の砲術家、高島秋帆(たかしま・しゅうはん)と地形の「平」から1968年に「高島平」と名付けた(板橋区のウェブサイトから引用)とのことです。
  •  話を沖縄に戻します。沖縄では琉球王朝時代から仮名(平仮名)が一般的に使われ、地名も仮名表記でした。それが1609年の島津氏の侵攻で薩摩藩が琉球を支配するようになり、漢字の使用が広がり始めたとされているようです。つまり、もともと「音」としての地名に漢字を当てはめたわけです。北海道のアイヌ語を語源とする地名と似たように思います。
  •  さて、皆さん。読んでみてください。
  • 那覇市安次嶺
  • 那覇市西武門
  • 那覇市天久
  • 那覇市真地
  • 宜野湾市我如古(写真1)
  • 浦添市城間  (写真2)
  • 浦添市勢理客 (写真3)
  • 名護市世冨慶
  • 名護市饒平名
  • 糸満市阿波根
  • 糸満市宇江城
  • 南風原町喜屋武=町の名も読んで。同じ地名が糸満市、うるま市にも
  • 沖縄市比屋根
  • 豊見城市保栄茂(写真4)=市名も読んで
  • うるま市平安名
  • 南城市仲村渠
  • 座間味村伊釈加釈
  • 八重瀬町東風平
  •  かつて沖縄県にはコザ市(195674年)というカタカナの自治体名がありました。現在の沖縄市です。これは進駐した米軍が胡屋(ごや)という地名をKOZAと聞き取り、そう言っているうちに地名に定着したという説が有力です。今でも沖縄市胡屋という住所はあります。
  •  米軍が今も駐留する当地には、北中城村(きたなかぐすくそん)ライカムという住所があります。ライカム(RyCom)とは、琉球軍司令部(Ryukyu-command)の略称です。 かつてこの地に米軍司令部が置かれていたことから、現在も地名として残っています。司令部は現在、同村と北谷町(ちゃたんちょう)にまたがるキャンプ瑞慶覧(ずけらん)に移され、ライカムの跡地は巨大なショッピングモールが建っています(写真5、沖縄タイムスウェブサイトから。1階エントランス=左下=には100トンの水槽があり熱帯魚が泳ぐ)。
  •  地名を正しく読んでWordでその文字列で入力すれば、ほとんどの地名が変換で正しく出てくること、カーナビの音声は正しく発音する(当たり前か)ことも発見です。
  • 冒頭の二つは大阪市放出(はなてん)、山形県及位(のぞき)でした。
  • 沖縄の答え合わせは№4をお待ちください。



 

写真1


 

写真2

 
 

写真3


 

写真4

 
 

写真5

 


  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.2) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  球春来沖。沖縄に引っ越して1か月と少しが経過しました。2月の沖縄といえば、プロ野球の球団が春季キャンプにやってきます。全12球団中9球団が沖縄県内でキャンプをしています。正確にはこれを書いている時点では、まだ沖縄入りしていない球団もありますが。
  •  居住地の宜野湾市には横浜DeNAベイスターズが、勤務先の浦添市には東京ヤクルトスワローズが来ています。2月の連休にベイスターズが練習する「ユニオンですからスタジアム宜野湾」とヤクルトの「ANA BALL PARK浦添」を連続して自転車で訪れました。ビールを飲みながら観戦できるように、です。観戦というのは正しくないですね。練習を見ているのですから。
  •  沖縄に来て驚いたのはプロ球団のホームスタジアムと同規模の球場がたくさんあることです。狭いところで練習にはならないでしょうから、各自治体が競って建てているわけです。宜野湾は両翼95m、中堅120mで天然芝。浦添は両翼98m、中堅122m、人工芝です。
  •  この季節に沖縄にいたことがないので、もちろんキャンプを訪れるのは初めてです。審判員、他球団のスコアラーといった関係者、報道陣もいて、プロ野球関係者がこぞって来沖していることになります。
  •  ちなみに沖縄にいる球団とキャンプ地は、ロッテ(石垣市から糸満市へ)、楽天(金武=きん=町)、日ハム(名護市)、阪神(宜野座=ぎのざ=村)、広島(沖縄市)、巨人(那覇市)、中日(北谷=ちゃたん=町)です。2軍が別に実施する球団では日ハム(国頭=くにがみ=村)、中日(読谷村)、阪神(うるま市)、楽天(久米島町)です。久米島町は久米島という島からなる自治体で、沖縄本島の東の東シナ海にある島です。那覇から飛行機で約30分の距離にあります。ダイビングで有名なので夏季は羽田から直行便もあります。人口7,000人、広さ約60㎢の島にスタジアムが二つあるそうです。
  •  宜野湾スタジアムの駐車場に止まっている車の約3割はレンタカーでした。おそらく内地からキャンプを見るために来た人たちでしょう。選手もサイン会を開いたり、地元の「さくらまつり」に参加したりと、シーズン中とは違う気楽さもあるようです。来月は何を書こうかな。


 

ベイスターズ1


 

ベイスターズ2

 

ヤクルト1


 

ヤクルト2



  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.1) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  故郷・東京を離れ、単身で沖縄に暮らして約1か月が過ぎました。65歳で二つ目の会社を辞め、この1月から沖縄の会社に勤め始めました。オールドルーキーです。
  •  1月も20日を過ぎると当地では桜が咲きだします。ソメイヨシノではなく、ヒカンザクラです。写真は本島北部の今帰仁(なきじん)村にある世界遺産「今帰仁城跡」のサクラです。121日に撮影しましたが、まだ咲きはじめでした。
  •  暖かい沖縄ですが、1月終盤のいまは、最低気温が12度くらいまで下がっています。とはいえ度ですので、わたくしは何とも思いませんが、地元の人たちは「寒い、寒い」と言ってダウンを着込んでいる人も見かけます。
  •  転職し、それなりに忙しくしています。が、「沖縄便り」の形で定期的に寄稿します。


 

ヒカンザクラ


ヒカンザクラ


世界遺産「今帰仁城跡」

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